病院の紹介

診療への想い

「究極のかかりつけ病院」を目指します。

 りんごの樹動物病院は「究極のかかりつけ病院」として、平成10年10月に開院しました。「かかりつけ」として究極であるために、県内でも有数の設備を整えました。また、正確でスピーディな診断・治療を行うために、常に学会やセミナーに参加し最新の獣医学情報を収集しています。なかでも最も力を入れていることは、飼主様へのご説明です。飼い主様はとても不安なお気持ちでご来院されます。 ご家族の一員である大切なペットが病気になり、治療にはどのくらいの期間や費用がかかるのか、治る病気なのか治らない病気なのか…。そんな心配を、私たちの説明で安心や満足に変えていただければ幸いです。

「相手を思いやる心温かい動物医療」「人々を幸せにする動物医療」を病院のモットーに置き、「高水準の医療技術」と「最新の医療設備」をひと組として、「究極のかかりつけ病院」として進んでまいります。

「究極のかかりつけ病院」として、
主に実践していること

  • 待ち時間を減らすための予約診療制の導入
  • 同じ獣医師が継続して診察できるよう獣医師指名制の導入
  • 救急・時間外でもお困りにならないように診療の充実と専用受付回線の設置
  • 休診日も当番医が可能な限りの対応できるよう担当医とは常に連絡が可能
  • トリミング・ルームとの取次ぎ時間の軽減ができるようトリミング専用回線の設置

病院名の由来

どうして「りんごの樹」なんですか?という質問をよくお受けします。 実は獣医科大学の恩師、鷲巣誠先生に「リンゴの木」という童話を教えて頂いたのです。

あるところに果樹園がありました。

コマドリがやってきて「巣を作りたいんです」というと「わたしのところは、ごめんだね」とナシの木が言いました。「ピーピー鳴いて騒がしいからさ」とスモモの木も言いました。

コマドリはほかの木のところへも飛び回ったが「近寄らないでくれ!」「糞で汚れるよ!」といわれてしまいました。

「いったいどこへ?」とコマドリが困っていると「わたしのところへおいで!」と古いリンゴの木が言いました。

「さあ、巣を作ってタマゴを生みなさい!」というと「それじゃ、うちの子たちが騒いでもいいのかしら?」「ああ、いいとも」「それにうちの子たちが汚してもいいのかしら?」「ああ、いいとも」とリンゴの木はうなずきました。

モグラがやってきて「この下に家を作ってもいいかい?」とリンゴの木に聞きました。

「いいとも」「通路を掘っても邪魔じゃないかい?」「邪魔じゃないよ」とリンゴの木は答えました。

ヤマネがやってきて「家を探しているんですが、どなたか穴が空いてませんか?」と尋ねると「あいてなんか、いないよ!」と木たちはいやな顔で叫びました。

リンゴの木がそっと「空いているよ」といいました。

「あんたはどうしてそんなに馬鹿なんだい」とサクラの木が怒りました。「ピーピー鳴かれるでしょう」「葉っぱだって汚れるでしょう」ブドウの木があきれて言いました。

  • リンゴの木
  • 文:M・ローべ
  • 絵:A・カウフマン
  • 訳:八木博
  • 発行元:女子パウロ会

たまごからコマドリの雛たちがかえって、 くちばしを大きく開けてピーピー鳴いて騒いでいます。 「ほら、この始末だ」「うるさくて我慢できない!」ナシやスモモやサクラの木が怒りました。

でもリンゴの木はひな鳥たちのことが嬉しくてたまりませんでした。
ひな鳥たちに羽が生えて飛ぶ練習をはじめると、リンゴの木はもっと嬉しくなりました。

やがて秋が来て、そして冬が来きました。「寒いなあ」とナシの木が嘆きました。
「寒くて、寂しいわ」と、スモモの木も嘆きました。「寒くて、寂しくて、退屈だなあ」と、サクラの木も嘆きました。 どの木もギシギシ風にゆれてため息をついたのです。でも、リンゴの木は退屈も寂しくもなかったのでした。小鳥の巣やひな鳥がピーピー鳴くのを夢にみました。 リンゴの木は寒くもありませんでした。穴の中にヤマネたちがもぐり込んでいて、眠りながらときどき動きました。 それに、あたたかな毛でリンゴの木をなでました。リンゴの木はひとりでニコニコ笑っていました。そして幸せでいっぱいだったのです

※こちらの掲載に関して、女子パウロ会の許可をいただいております。

院長:近藤元紀

獣医師・獣医学博士

どうぶつ内視鏡手術センター センター長

日本動物病院協会(JAHA)外科認定医

日本動物病院協会(JAHA)中部日本地区ディレクター

岐阜大学 獣医外科学 客員教授



専門:内視鏡外科、肝臓胆嚢外科



所属:

日本獣医師会

日本小動物獣医師会

愛知県獣医師会

西三河開業獣医師連絡協議会

院長プロフィール

波乱万丈な青年時代。
すべての人への恩返しとして
全力で命を救います。

鮮烈なイメージを与えた学校が母校に。

 私は高棚保育園から高棚小学校、安城西中と地元で育ち、高校も自転車で通える安城東高に進学しました。実家は専業農家で、子供の頃から毎年の田植えや稲刈りはもちろん、養鶏も営んでいたので、鶏の出荷では深夜から駆り出されました。そんな環境で育ったので、当然大人になったら父の後を継いで農業をやるものだと思っていました。しかし、漠然と大学に行きたいという気持ちがあり、行くのならば農学部かなと考えていました。
 高校2年の進路を決めるという時期に、進路指導室に行って赤本を眺めていたら、「日本獣医畜産大学」という文字が目にとまり、職業そのままの大学名にびっくりしました。畜産なら自分にぴったりだなと思ったのと、獣医も農学部だということをその時に初めて知りました。獣医になれば自分のところの鶏も診ることができるし、養豚農家の処方箋も書けるなと考えていたのを思い出します。
 家業の役に立つとの想いから獣医を目指すことにしましたが結果は惨敗で、唯一合格したのはあの衝撃だった「日本獣医畜産大学」でした。何かの縁か導きか、これが私、近藤元紀劇場の始まりです。

運命の鷲巣誠先生との出会い。

 さあ、東京の大学に来たということで浮かれてしまい、「マリンスポーツクラブ」という軟派なサークルに明け暮れた1、2年生。3年生になり臨床繁殖の研究教室に入りましたが、1年で挫折。今度は病院研究室を訪ね「ビッグになりたいんです!」と、今考えれば赤面してしまうことを言って、なんとか入れてもらえる事になりました。それが、生涯の師匠になる鷲巣誠先生との初めて出会いでした。そこでの研究は楽しくて面白くて仕方がなく、朝から晩まで循環生理学や呼吸生理学、救急医療や麻酔学に没頭する毎日でした。あまりにもハマりすぎたため、そのまま大学院に進む道を選びました。
 大学院では世田谷にある国立小児病院に出向し、人の麻酔科の医師である高田正雄先生から研究計画の立て方や実験の進め方、理論的な考えのまとめ方などを一から教わりました。
 その後、大学院を修了するも就職先がなく、鷲巣先生の紹介で大学病院の嘱託助手として一年間雇ってもらえる事になりました。社会人になったことで調子に乗ってしまい、結婚資金として貯めた給料を先物取引に投資、結果は大損。邪な考えを持たないほうが良いと、この時学びました。でも、仕事はしっかり頑張りました。鷲巣先生の手術を毎日見ていたおかげで、自然とその技術を覚えることができました。この時の経験が、私の獣医師人生の大きな礎になっていると思っています。
 嘱託医を終える頃に、やっと名古屋の滝山先生のところに就職先が決まりましたが、眼科を専門にしているとは知りませんでした。私は目の解剖については全く知識がありませんでしたが、一生懸命覚えました。そして、ここでもたくさんの経験をさせていただきました。滝山先生も大変厳しい先生でしたが、勤務医思いのとても尊敬できる先生でした。こうしてみると私は、両親を含め、たくさんの恩師に恵まれたなあと実感しています。

毎日がわくわくでいっぱい生涯現役。

 平成10年10月12日、念願のりんごの樹動物病院を開院しました。(本当は10でまとめて10日にオープンしたかったのですが、日柄が悪いということで10日は内覧会を行いました。)どこでやるのかもずいぶん悩みましたが、鶏舎の隣の田んぼを埋め立てればいいじゃないかと説得され、まあじゃあそうしましょうと割と安易に決めてしまいました。開業当時は、困ったことがあると大学の先輩である刈谷の小笠原先生に相談し、ずいぶん良くしていただき本当に助かりました。小笠原先生にお会いしてなければ、今の自分はなかったと思います。
 それから20年、がむしゃらにやってきました。その間、鷲巣先生からお声をかけてもらい、岐阜大学の客員教授にもさせていただきました。いつの間にかずいぶん年をとってしまいましたが、いまでも多くのことに興味がいっぱいで、わくわくする日々を送っています。おそらく父と同じように、80歳になってもこの仕事をしているだろうなと思います。多くの方々との出会いに恵まれ、最高の家族、スタッフに囲まれ、たくさんの飼い主様に頼りにしていただいて、本当に幸せだと思います。好きなことを仕事にできているこのご恩を、多くの方に還元していきたいと思っています。

「りんごの樹通信」情報誌の発行

動物達のこと病気のこと当院のこと地域のことなど色々な情報を、年4回(春、夏、秋、冬)ではありますが通信として院内にて発行しております。執筆、編集共に院長や当院のスタッフが行っております。皆様のお役に立てれば幸いです
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